OECD諸国で政府を信頼する人は40%、信頼しない人は43%。北欧の高信頼、低信頼の罠、ジョージアや香港の改革を手がかりに、信頼を生むのは文化か制度かを検証する。決め手は発言権と公正さ、そして目に見える制度の行動である。
信頼は国家のバランスシートにおいて最も目に見えにくい項目であり、同時に最も重い意味を持つ項目のひとつでもある。ノーベル経済学賞を受けたケネス・アローは1972年、ほぼすべての商取引には信頼という要素が含まれており、世界の経済的後進性は、その多くが相互信頼の欠如によって説明できると論じた[53]。それから半世紀を経て、計測がようやく直観に追いついた。OECDが実施する「公的機関に対する信頼の決定要因に関する調査」(以下、OECD信頼度調査)は、2025年後半の実地調査に基づく第3回の結果を2026年6月に公表した。加盟33カ国と加盟候補5カ国の回答者のうち、自国政府への信頼が高い、またはやや高いと答えたのは40%、低い、またはないと答えたのは43%であった✓ 確認済み事実 [1]。2023年後半に30カ国の約6万人を対象に行われた前回調査でも、39%対44%とほぼ同じ構図が示されている[5]。OECDは2026年の結果を「信頼は落ち着いたが、人々はなお声が届いていないと感じている」と要約した[1]。この水準での安定は安心材料ではない。平均的な先進民主主義国では、政府を信頼する市民より信頼しない市民のほうが多く、その状態が3回の調査を通じて続いているということを意味するからである。
平均値の陰に隠れた本当の論点は、ばらつきである。2023年の調査では、自国政府への信頼はスイスの61.9%、ノルウェーの47.6%から、チリの30.4%、ラトビアの28.7%、英国の26.7%まで幅があり、OECD平均は39.3%であった✓ 確認済み事実 [6]。OECDの『図表でみる世界の行政改革2025』によれば、調査対象国の3分の1では、政府への信頼は35%を下回っていた。機関別にみると、裁判所を信頼する人は54%、公務員と地方政府は45%、議会はわずか37%にとどまる[7]。OECDの集計に含まれない米国については、ピュー・リサーチ・センターが計測している。2025年に連邦政府が「ほぼ常に」または「たいてい」正しいことをすると信頼する米国人はわずか17%で、2024年の22%、1964年の77%から低下した✓ 確認済み事実 [10]。ギャラップ社の世界世論調査によれば、2023年時点で米英両国における自国政府への信頼はともに30%で、主要7カ国(G7)の最下位に並んだ[11]。両国はいずれも、同調査の開始当初にはG7で最も信頼度が高い国であった。
政府に対する信頼と他者に対する信頼は互いに関連するが、別個の量であり、両者を混同すると分析がゆがむ。一般的な社会的信頼、すなわち世界価値観調査や欧州価値観調査で「たいていの人は信頼できる」と答える人の割合は、国際的に最も大きな開きを示す指標である。これらの調査を集約するアワー・ワールド・イン・データによれば、ノルウェーとスウェーデンでは回答者の60%超がたいていの人は信頼できると答える一方、コロンビア、ブラジル、ペルーでは10%に満たない✓ 確認済み事実 [12]。同データは強い正の相関も示している。自己申告による信頼度が高い国ほど、経済活動の水準も高い[12]。これに対し、制度への信頼は変動しやすい。ノルウェーにおける政府への信頼は2021年の64%から2023年には48%へ下落し、2025年に57%まで回復した[2]。デンマークはトランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識指数(CPI)で8年連続首位に立ち、2025年のスコアは89である。それでも自国政府への信頼は44%にとどまり、OECD平均とほぼ変わらない[13] [6]。北欧諸国の優位は、社会的信頼では圧倒的だが、政治家への信頼では控えめなのである。
行動面の指標も、調査の数字が現実の何かを捉えていることをおおむね裏付けている。2019年に科学誌『サイエンス』に掲載されたフィールド実験では、研究者らが40カ国355都市の銀行、ホテル、警察署、役所に、落とし物を装った財布1万7303個を届け、受け取った側が持ち主に連絡するかどうかを記録した[52]。財布が持ち主に戻った割合は、現金が入っていない場合で40%、入っている場合で51%であった。この結果は調査対象となった経済学者の大半による予測を覆すものであり、国ごとの大きな差も明らかにした◈ 強力な証拠 [52]。これとは別に、2000年のグレイザー、レイブソン、シャインクマン、サウターに始まる一連の実験研究は、標準的な調査質問が、回答者がどれだけ他人を信頼して行動するかよりも、本人がどれだけ信頼に値する行動をとるかをより確実に予測することを見いだした[31]。これは解釈上、重要な意味を持つ。ある社会の人々が「たいていの人は信頼できる」と答えるとき、彼らは自分の周囲で目にする行動についても報告しているのである。調査で測られる信頼は、相当程度まで、周囲の社会がどれだけ信頼に値するかを測っている。
欧州のデータもまた、安定した平均と各国における急激な変動という同じ構図を示している。2025年春の標準ユーロバロメーターでは、欧州連合(EU)への信頼が52%と2007年以来の最高水準に達した一方、加盟国政府への信頼は36%、各国議会への信頼は37%にとどまった✓ 確認済み事実 [14]。その1年前、2024年春の調査では、自国政府への信頼がオランダで13ポイント、フィンランドで11ポイント低下し、自らを労働者階級とみなす欧州市民における信頼はわずか25%であった[56]。民間の調査は手法こそ異なるが、同じ方向を指している。2025年後半に28カ国で3万3938件のオンライン聞き取りを行った2026年版エデルマン・トラストバロメーターでは、回答者の70%が価値観の異なる人を信頼することに消極的か、ためらいを感じていると答えた。この割合は日本で90%、ドイツで81%に達する[8]。同社のリチャード・エデルマン最高経営責任者(CEO)は、この推移を「恐怖から分極化へ、分極化から不満へ、そして今や内向きの閉鎖性へ」という下降として描いた[8] [9]。
以上の数字が、本報告の扱う問いの枠組みとなる。信頼は固定された国民性ではない。数年のうちに15〜20ポイントの上下を経験した国がいくつもあるからである。かといって偶然の産物でもない。同じ国々が数十年にわたり、どの指標でも上位と下位に固まっているからである。分析上の中心課題は、信頼の構成要素のうち、経済学者が数百年前までさかのぼって跡づけてきた歴史的・文化的な遺産のようにゆっくり動く部分と、制度が実際にどう振る舞うかに反応して素早く動く部分とを切り分けることにある◈ 強力な証拠 [21] [25]。政策上の問いはそこから直ちに導かれる。信頼が主に受け継がれるものであるなら、低信頼社会は罠にはまっており、改革は何世代も待たねばならない。一方、信頼が相当程度まで制度によって生み出されるものであるなら、再建は可能である。ただし、それは広報活動によってではなく、制度自体の行動を変えることによってのみ実現する。以下の各章で検討する証拠の重みは、重要な留保を伴いつつも、後者の答えを指し示している。
3回の調査を経て精緻化されたOECDの信頼に関する枠組みは、信頼の決定要因を二つに分ける。ひとつは、制度が応答的で確実かどうかという「能力」であり、もうひとつは、制度が開かれ、公正で、誠実に行動するかどうかという「価値」である[5]。国ごとに繰り返された回帰分析は、主要な経済指標よりも価値の側が大きな重みを持つことを一貫して示している。2024年の結果では、政府の行動に発言権があると感じる人のうち69%が自国政府への信頼を高い、またはやや高いと答えたのに対し、そう感じない人では22%にとどまった✓ 確認済み事実 [5]。2026年の結果では、両者の差はOECD全体で47ポイントに達し、英国のコンサルテーション・インスティテュートの計算では48ポイントと、2021年の44ポイントから拡大した[1] [4]。注目すべきは、回答者の68%が投票によって政府にある程度の影響を与えられると考えている一方で、自分のような人間に政府の行動に対する発言権があると考える人は31%にすぎない点である[1]。選挙は形式上の発言権を与える。しかし大半の市民は、それを「声が届いた」とは受け止めていない。
第二の柱は公正さと誠実さである。OECD調査は、公務員が賄賂を拒むと思うか、高官が政治的便宜と引き換えに高給の民間職を差し出されたときにそれを断ると思うか、そして所得や性別、出自にかかわらず平等に扱われると思うか、を回答者に尋ねている[5]。誠実さと公正な扱いへの期待は、どの回でも信頼を最も強く予測する要因に数えられる◈ 強力な証拠 [5] [7]。この知見は20年にわたる学術研究と整合する。ボー・ロススタインとヤン・テオレルは、統治の質を「公権力の行使における不偏性」と定義した。すなわち、法律や政策であらかじめ定められていない市民の属性を、公務員が一切考慮しないという原則である[18]。この枠組みにおいて、不偏性こそが信頼を生み出す制度的特性である。ロススタインはさらにエリック・アスレイナーと共に、経済的不平等が汚職を助長し、汚職が信頼を損ない、低い信頼が不平等を固定化するという因果の連鎖を描き、これを「不平等の罠」と名づけた[17]。
第三の柱は確実性であり、パンデミックはこれを試す自然実験の場となった。トーマス・ボリキーらが『ランセット』に発表した研究は、2020年1月から2021年9月までの177カ国を対象に分析を行った。その結果、政府への信頼や対人的信頼を示す指標は、感染率の低さやワクチン接種率の高さと関連していたが、標準的なパンデミック対応準備指数には関連がみられなかった◈ 強力な証拠 [15]。ボリキーはAP通信に対し、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の帰結と、民主主義、ポピュリズム、政府の有効性、国民皆保険、パンデミック準備指標、経済的不平等、科学への信頼との間には、いずれも関連が見つからなかったと語っている[16]。AP通信の報道によれば、著者らは、すべての国がデンマーク並みの対人的信頼を備えていれば、21カ月間の世界の感染者数は約40%、すなわち約4億4000万人少なかったと推計した。政府への信頼がデンマーク並みであった場合でも、13%少なかったという[16]。デンマークでは、ミカエル・バング・ピーターセンが率いるHOPEプロジェクトが8つの民主主義国で40万件超の聞き取りを実施した。その結果、デンマーク人の約90%が保健医療制度を信頼しており、当局によるパンデミック対応への信頼がワクチン受容を最もよく予測する要因であった[42]。
OECDのデータが示唆するのは、政府が成果を改善しても市民が声を聞いてもらえていないと感じれば信頼を失いうること、逆に声が届いていると感じられれば困難な時期にも信頼を保ちうることである。発言権をめぐる47ポイントの差は、同調査における所得、年齢、学歴による差のいずれよりも大きい[1]。データが示す最も強力な手段は、儀式としての意見聴取ではなく、目に見える形で反映される参加である。
経済的打撃は信頼を損なうが、その経路は主として「不公平だ」という認識である。ヤン・アルガン、セルゲイ・グリエフ、エリアス・パパイオアヌー、エフゲニア・パサリの4人は、2008年の金融危機後の欧州各地域を分析した。EU全体の失業率は2007年の7%から2013年には11%へ上昇し、地域の失業率が5ポイント上がるごとに政治的信頼が1.5ポイント低下する関係がみられた◈ 強力な証拠 [30]。危機前の建設業の比率を操作変数として用いた推計では、失業率が1ポイント上がると反エスタブリッシュメント政党への投票が2〜3.9ポイント増えた[30]。対人的信頼への影響は、政治制度への信頼への影響よりはるかに小さく、標準化係数は前者が約−0.065、後者が約−0.15であった[30]。著者らの結論は率直である。危機に起因する経済的不安は、ポピュリズムと政治不信を生む大きな要因だというのである[30]。危機によって欧州の人々が互いを信頼しなくなったわけではない。責任があるとみなした制度を信頼しなくなったのである。
苦境の大きさと同じくらい重要なのが、その配分である。2026年のOECD調査では、女性、若年層、学歴の低い人で信頼が低く、学歴による差は2021年以降に大きく拡大した[1]。英国ではこの構図が逆転している。2025年までに大卒者が非大卒者より政府を信頼しなくなり、学歴による差は31ポイントに達した。一方で英国における発言権の差は8ポイントにとどまる。不信が、従来から疎外感を抱いてきた層を越えて広がっていることを示す兆候である[4]。2025年版エデルマン・トラストバロメーターによれば、28カ国の回答者の61%が企業、政府、富裕層に対して中程度以上の不満を抱いていた。また、政府指導者が意図的に自分たちを欺いていると恐れる人の割合は、2021年の58%から69%に上昇した[9]。エデルマンの見立てでは、不満こそが経済的不安と政治不信を結ぶ架け橋である◈ 強力な証拠 [9]。
これらの要因を総合すると、一貫した序列が浮かび上がる。信頼は、予測可能な形で振る舞う制度から公正に扱われ、声を聞いてもらえたという経験についてくる。逆に、コネのある者のためにルールが曲げられる、苦境が不平等に配分される、あるいは参加しても何も変わらないと市民が受け止めたとき、信頼は低下する。経済成長は限界的には役立つ。しかしOECDのデータは、成長率が似た国の間でも信頼に大きな差があること、そして信頼と最も強く結びつく変数が物質的なものではなく手続き的なものであることを示している◈ 強力な証拠 [5] [7]。英国の哲学者オノラ・オニールは、目指すべきは信頼の量を増やすことそれ自体ではなく、信頼に値するものをより信頼し、値しないものをより信頼しないことだと論じた[33]。調査結果はこの考え方によく合致する。制度が不偏で応答的なところでは、信頼は高く、おおむねそれに値する。そうでないところでは、低い信頼は文化的な病理ではなく、合理的な反応なのである。
北欧型の構図は、信頼をめぐるあらゆる理論の基準点となっている。ケネス・ニュートンとヤン・デルハイは2005年に60カ国を分析し、高信頼社会には民族的同質性、プロテスタントの伝統、良い統治、豊かさ、所得の平等という五つの特徴が共通しており、それらが最も強く重なり合うのが北欧諸国であることを見いだした◈ 強力な証拠 [29]。重要なのは、残る55カ国でも同様の関連が弱いながら成り立っていた点である。北欧諸国は世界的な傾向に対する例外ではなく、その極端な事例だということになる[29]。トランスペアレンシー・インターナショナルの2025年版指数では、デンマークが89点で8年連続の首位、フィンランドが88点で2位につけた。一方、世界平均は42点に下がり、182カ国中122カ国が50点を下回った[13]。80点を超えた国は5カ国のみで、10年前の12カ国から減少した[13]。北欧諸国はこうして、世界最高水準の社会的信頼と世界最低水準の汚職認識を兼ね備えている。この一致を、今では多くの研究者が因果関係として扱っている。
肝心なのは因果の向きである。北欧の信頼が単なる文化的特性であれば、それが良い制度を生み出したことになる。制度が信頼を生み出すのであれば、矢印は逆を向く。キム・マネマー・セナスコウとピーター・ティステズ・ディネセンは、この問いに正面から取り組んだ。18年分をカバーするデンマークの二つのパネル調査を用い、固定効果モデルと交差遅延モデルによって同一人物を長期にわたり追跡したのである[25]。その結果、国家機関への信頼が社会的信頼を生むことを示す強い証拠が得られ、逆方向の因果を支持する証拠は限られていた◈ 強力な証拠 [25]。ディネセンは先行研究で西欧への移民を調べ、出身国における信頼の文化と移住先における制度の質の両方が、移民自身の信頼を予測するきわめて有意な要因であることを示している。信頼は文化に根ざしながらも、人が暮らす制度的環境に反応するという証拠である[26]。低信頼社会から高信頼社会へ移り住んだ人は、他者をより信頼するようになる。信頼が固定された遺産であるとすれば、これを説明するのは難しい。
北欧の信頼と最も強く結びつけられる仕組みは、普遍主義的な福祉国家である。スタファン・クムリンとロススタインはスウェーデンの調査データを用い、資力調査を伴う選別的な福祉制度に接した経験は社会的信頼の低さと関連するが、普遍的な制度に接した経験にはそうした関連がないことを見いだした◈ 強力な証拠 [20]。その論理は手続き的なものである。資力調査型の制度では、誰が支援に値するかを担当職員が裁量で判断しなければならない。そのため、受給者による不正への疑念や、職員による恣意への疑念を招きやすい。これに対し、児童手当、医療、教育のように誰もが同じ条件で利用できる普遍的な制度は、そうした裁量を取り除き、相互不信の大きな源泉をも同時に取り除く[20] [17]。ロススタインとアスレイナーは、普遍的な制度こそが不平等の罠から抜け出す主要な道筋だと論じた。不平等を縮小しつつ、市民を対等に扱うからである[17]。したがって北欧の福祉国家は、単なる再分配の仕組みではない。ほぼすべての市民が日常的な接触を通じて国家を不偏なものとして経験するがゆえに、信頼を生み出す装置となっているのである。
歴史的な記録も、留保付きながら制度による説明を支持している。アリーナ・ムンジウ=ピピディは、社会がいかに汚職を抑制するに至るかを研究し、デンマークにおける法の支配の構築を1660年に確立された絶対王政にまでさかのぼらせた。また、今日最も汚職の少ない国々の大半が19世紀中に移行を果たしたことも見いだしている◈ 強力な証拠 [41]。ロススタインは、スウェーデンが19世紀半ばの集中的な改革によって、腐敗した縁故主義的な行政から不偏の行政へ移行したと主張し、これを「ビッグバン」と呼んだ[19]。これに対しアンデシュ・スンデルは、スウェーデン政府の援助研究専門家グループ(EBA)のために行った2016年の研究で、移行の速さに異を唱えている。スウェーデンの変化はむしろ段階的・漸進的なものであり、役人への非公式な手数料は給与が引き上げられ所得税が導入されるまで残っていたというのである[40]。両者は核心において一致している。北欧の信頼は、何世代にもわたり不偏の行政を意図的に築き上げることで形成された。スカンディナビア社会にもともと備わっていた条件ではなかったのである。
北欧の資産も、目減りと無縁ではない。ノルウェーにおける政府への信頼は2021年から2023年にかけて64%から48%へと16ポイント下落し、2025年に57%まで回復した✓ 確認済み事実 [2]。フィンランドは2023年のOECD調査で47%を記録し、続く2024年春のユーロバロメーターでは自国政府への信頼が11ポイント低下した[6] [56]。デンマークのOECDにおける数値は2021年の49%から、2023年と2025年にはいずれも44%へ下がった[60]。これらの変動は絶対値でみれば大きい。しかし、ほとんど動いていない社会的信頼という高い基盤の上で起きている。北欧の市民は、特定の政権への信頼を失っても、互いへの信頼や、裁判所と公務員への信頼までは失わないのである[12] [7]。現職政権への信頼と、体制自体への信頼とを区別することが、一時的な落ち込みと構造的な危機を分ける。北欧の制度が政治的な失望を吸収できるのは、政治家の下にある行政の層が不偏であり続けるからである。
ここで二つの複雑な事情に目を向ける必要がある。第一に、制度への信頼という点で、高信頼の民主主義国は北欧諸国に限られない。2023年に自国政府への信頼が61.9%であったスイスと56%のルクセンブルクは、この指標で北欧4カ国をすべて上回っている[6] [7]。頻繁な国民投票を伴うスイスの直接民主制は、同じ結果に至る別の道筋を示している。普遍主義ではなく発言権による道である。第二に、ディネセン、メルリン・シェーファー、セナスコウが87件の研究から1001の推計値を集めて行ったメタ分析は、民族的多様性と社会的信頼の間に統計的に有意な負の関連を見いだした。この関連は近隣住民への信頼で最も強く、多様性を地域単位で測った場合に最も顕著であった⚖ 議論あり [28]。この知見はしばしば、北欧の信頼は同質性に依存しており移民によって損なわれるという主張の根拠に引かれる。しかし同じ一連の研究は、その効果が制度の質に比べて小さいこと、そして高信頼国に住む移民は時間とともに他者をより信頼するようになることも示している[26] [28]。
ロススタインは低信頼の状態を「社会的な罠」と呼ぶ。他者も協力すると信じられないために、人々が互いの利益となる協力に失敗する状況である◈ 強力な証拠 [19]。大半の役人が賄賂を受け取っているなら、誠実な役人が拒んでも得るものはなく、誠実な市民は支払わないことで損をする。大半の納税者が脱税しているなら、法令を守る者はお人好しにすぎない。各人の不信は個人としては合理的だが、集団としては破滅的である。そして合理的であるがゆえに、当初の原因が消えても解消されない[19]。エドワード・バンフィールドは1955年に南イタリアの村を民族誌的に調査し、同じ均衡を描き出した。村人たちは、共通の利益のためにも、核家族の目先の物質的利益を超えるいかなる目的のためにも、協力して行動することができないというのである[59]。ロバート・パットナムは1970年に創設されたイタリアの州政府を研究し、20年後における各州政府の実績が、数百年前にさかのぼる市民的伝統と連動していることを見いだした。市民団体が密に存在する北部の州はうまく統治され、それを欠く南部の州は統治が振るわなかった[23]。
経済学者たちはその後、こうした罠がどれほど長く続くかを計測してきた。ルイジ・グイゾ、パオラ・サピエンツァ、ルイジ・ジンガレスは、中世に自治都市(コムーネ)であったイタリアの都市が今日より多くの市民資本を持ち、その効果は独立の期間が長く程度が強いほど大きいことを見いだした◈ 強力な証拠 [24]。彼らの推計では、イタリアの社会関係資本における南北格差のうち少なくとも50%は、南部が自由都市国家を経験しなかったことに起因する[24]。ネイサン・ナンとレオナール・ワンチェコンは、2005年のアフロバロメーター調査(17カ国、2万1702人)を用いて、大西洋とインド洋における奴隷貿易でより激しく襲撃された民族集団に属する人々は、今日でも親族、近隣住民、同じ民族集団の成員、地方政府をあまり信頼していないことを示した[22]。歴史的な海岸からの距離を操作変数として用いた分析から、両氏は効果の大半は、現在における制度の質だけを通じてではなく、個人に内在する要因、すなわち世代を超えて伝えられる文化的規範、信念、価値観を通じて作用すると結論づけた[22]。
ほぼすべての商取引は、それ自体のうちに信頼という要素を含んでいる。一定期間にわたって行われる取引であれば、なおさらである。世界における経済的後進性は、その多くが相互信頼の欠如によって説明できると、十分にもっともらしく論じることができる。
――ケネス・J・アロー「贈与と交換」、『フィロソフィー・アンド・パブリック・アフェアーズ』誌、1972年こうした罠がもたらす経済的代償は大きい。ヤン・アルガンとピエール・カユックは、1977年から2004年までの米国総合社会調査(GSS)を用い、24の出身国にわたって、米国に渡った移民の子孫が、祖先の出身国から受け継いだ信頼を計測した。そのうえで、この「継承された信頼」を用いて、出身国自体の経済成長に対する信頼の効果を推計した◈ 強力な証拠 [21]。その結果、継承された信頼は1人当たり所得における国家間格差のうち、3分の1超を説明していた。反実仮想による推計は目を引く。スウェーデン並みの継承された信頼があったとすれば、2000年の1人当たり所得はイタリアで17%、フランスで11%、ドイツで7%、英国で6%高かったはずであり、ロシアでは69%、メキシコでは59%、アフリカでは546%高かったという[21]。これらの数字には不確実性が伴い、2017年の再現研究は識別戦略の一部に疑問を呈している[57]。それでも大幅に割り引いたとしてなお、信頼が国の繁栄を左右する最大級の決定要因のひとつであることを示唆している。
中南米は、この罠を地域規模で示している。アワー・ワールド・イン・データによれば、コロンビア、ブラジル、ペルーで「たいていの人は信頼できる」と答える人は10%に満たず、世界で記録された中でも最低水準にある✓ 確認済み事実 [12]。ラティノバロメトロの2023年報告書では、域内における民主主義への支持は2010年の63%から48%に低下し、民主主義の機能に満足している人は28%にとどまった。また17%が、状況次第では権威主義的な政府を容認すると答えた[47]。2024年の調査では支持は52%まで回復している[48]。中東ではレバノンが極端な事例である。経済研究フォーラム(ERF)が分析したアラブ・バロメーターのデータによれば、2024年までに政府や議会を信頼するレバノン人は10%を下回った一方、軍への信頼は85%を超えた[49]。文民国家が信頼されず、治安部隊だけが信頼を集めるとき、民主的改革への誘因はさらに弱まる。こうした構図における低信頼は、単に統治の不全を示す症状ではない。より良い統治を築くための政治的余地自体を狭めてしまうのである。
低信頼の均衡は、あらゆる取引に負担を課す。契約は増え、監視は強まり、保証が求められ、見知らぬ人との協力は減る。しかも、他の全員の行動を前提とすれば各人の不信は合理的であるため、こうした負担は持続する[19] [21]。『ランセット』のパンデミック研究は、同じ計算が公衆衛生にも当てはまることを示唆している。誰が対策に従うかを予測したのは、準備計画ではなく信頼であった[15]。不信とは、どの議会も可決せず、どの政府も徴収しないが、すべての市民が支払う税なのである。
罠は豊かな民主主義国の内部にも生じる。欧州で最も明確な事例はギリシャである。ユーロバロメーターのデータによれば、同国における政府への信頼は2004年に50%を超え、2008年以前は平均44%であった。それが債務危機のさなか、2011年秋に8%、2012年に7%へと崩落した◈ 強力な証拠 [45]。以来、37%を超えたことはない[45]。この推移は、危機に起因する失業が対人的信頼よりもはるかに強く政治制度への信頼を損なうという、アルガンらの知見と合致する[30]。したがって社会は、近隣住民への信頼をそれなりに保ちながら、政治面だけが低信頼の均衡に陥ることがありうる。そして政治面の不信だけでも、反エスタブリッシュメント票を勢いづけるには十分である[30]。フランスはより穏やかな変種を示している。仏政治研究センター(CEVIPOF)の2025年版政治的信頼バロメーターによれば、政治を信頼するフランス人はわずか26%で、ドイツの47%、イタリアの39%を下回った。政府への信頼は17%、国民議会は20%にとどまる。ところが市町村長への信頼は61%に達している[46]。
フランスにおける市町村長への信頼の高さは、低信頼をめぐる研究で最も重要な留保を示している。不信が制度全体に一様に広がることはまれである。裁判所、地方政府、公務員は一般に議会や中央政府より信頼される。2023年のOECD全体では、裁判所を信頼する人が54%、議会は37%であった✓ 確認済み事実 [7]。市民が直接接し、ルールに従って動くと実感できる制度は、党派的なメディアを通じてしか目にしない制度より信頼されやすい。これは制度による説明と整合する。同時に、修復をどこから始めうるかも示している。社会は自らの歴史を変えることはできない。しかし、大半の市民が国家と出会う場、すなわち警察官、税務署、学校、登記所といった制度を変えることはできる。次章以降の証拠は、その段階での変化が、いかなる政治改革よりも速く計測上の信頼を動かすことを示唆している。罠は根強い。だがその壁は期待でできており、期待は証拠に反応する。
先進民主主義国の中で最も長い連続データを持ち、最も急な低下を示しているのが米国である。ピュー・リサーチ・センターの記録によれば、連邦政府が常に、またはたいてい正しいことをすると信頼する米国人は、1958年に約73%、1964年に77%であった。その数字は1980年までに約4分の1に落ち込み、2007年以降は30%を超えたことがなく、2025年には17%となった✓ 確認済み事実 [10]。ギャラップ社が長年追跡してきた9つの機関に対する信頼度は、2025年の平均で28%と、1979年の48%を大きく下回る[55]。ギャラップ社は2024年4月、2022年に米英両国が初めて、自国政府への信頼に関するG7の順位で最下位に並んだと指摘した。約20年前に世界世論調査が始まった時点では、両国とも最上位にあった[11]。米国における低下は、二大政党いずれの政権下でも続いてきた。この推移を特定政権による行動に帰することは難しく、実績に対する循環的な反応というより、分極化、不平等、断片化した情報環境といった構造的な要因の存在を示唆している。
英国は近年、より急激な形で同様の道をたどっている。英国社会調査研究所(NatCen)が2024年6月に公表した英国社会意識調査によれば、どの政党の政府であれ、自党の利益より国の必要を優先するとは「ほとんど信頼しない」と答えた英国人は45%で、2020年から22ポイント増えた。また、追い詰められたときに政治家が真実を語るとは「ほとんど信頼しない」人は58%で、19ポイント増加した✓ 確認済み事実 [44]。英国の統治の仕組みには改善が必要だと答えた人は79%に上る[44]。2023年のOECD調査では、英国における政府への信頼は26.7%で、アイルランド中央統計局が比較した国々の中で最も低かった[6]。2026年の結果は、その構成がさらに変化したことを示している。大卒者が今や非大卒者より政府を信頼していないのである[4]。国際的な知見の大半とは逆に、英国の不信は経済的に取り残された層から、教育を受けた中間層へと移っている。
日本と韓国は、信頼が急速に高まりうることを示している。日本における政府への信頼は、2021年のOECD調査で24%であったが、2025年には46%に達し、OECD平均の40%を上回った✓ 確認済み事実 [3]。この上昇は、2023年の自由民主党派閥をめぐる裏金事件にもかかわらず生じた。同事件で岸田文雄首相の支持率は17%まで落ち込み、2012年に自民党が政権に復帰して以降の首相として最低を記録している[50]。OECDのデータは単一の原因を特定しておらず、上昇は指導者の交代や政治サイクルの変化と時期を同じくしていた。韓国の上昇も同様に急であった。韓国紙「ファイナンシャルニュース」によれば、韓国は2026年の結果で51.03%を記録し、2024年調査の37.15%から上昇して、OECDで6位となった[43]。ユン・ホジュン行政安全部長官は、この上昇を、国政を速やかに正常化し、国民との意思疎通を強化する取り組みの成果だと説明した[43]。
エストニアは、効率的な公共サービスが自動的に信頼を生むという前提に疑問を投げかける。同国はデジタル行政サービスで国際的に知られる。にもかかわらず、2024年のOECD調査で自国政府を信頼するエストニア人は38%にとどまり、2021年から9ポイント低下した✓ 確認済み事実 [58]。同じ調査で、警察への信頼は74%、裁判所は62%、他者への信頼は60%であった[58]。つまりエストニアは、北欧型の構図を小規模に再現している。不偏の行政機関と同胞市民への高い信頼に、選挙で選ばれた政府への変動しやすい信頼が組み合わさっているのである。効率的なサービスは、サービスへの信頼を築く。だがそれだけで、インフレ、増税、賛否の分かれる政策選択がもたらす政治的帰結から政府を守ることはできない。エストニアの事例は、行政の提供を改善すれば政治不信はおのずと修復されるという、テクノクラート的な楽観への警告である。
ギリシャとレバノンは、制度が目に見えて機能不全に陥り、その負担が不均等に降りかかったとき、信頼がいかに速く崩れるかを示している。ギリシャでは、政府への信頼が2004年の50%超から2012年には7%に下落し、以後37%を超えて回復していない◈ 強力な証拠 [45]。レバノンでは、一般預金者の貯蓄を消し去った銀行破綻を経て、アラブ・バロメーターの調査による政府と議会への信頼が2024年までに10%を下回った[49]。両国における崩落は、学術的な証拠と合致する経過をたどった。不公平だと受け止められ、原因をつくっていない人々が負担を背負わされた経済的打撃は、近隣住民や軍などの機関への信頼よりも、政治制度への信頼をはるかに大きく損なったのである[30] [49]。両国とも回復は遅い。失われた信頼は、失われるときよりもゆっくりとしか取り戻せないようである。危機の中で形成された期待を市民が改めるには、行動が変わったという証拠を繰り返し目にする必要があるからである。
分布の反対側に位置するスイスとノルウェーは、高い信頼を維持する二つの道筋を示している。スイスは2023年に政府への信頼61.9%、2026年の結果では61.57%を記録し、OECDで最も高い[6] [43]。同国の制度は連邦制、合意型の統治、頻繁な直接民主制を組み合わせ、市民が個別の決定について年に数回、正式に意思を表明できるようにしている。これに対しノルウェーは、普遍主義的な福祉制度と不偏の公務員制度に依拠しており、政府への信頼は底堅さを示してきた。2023年に48%まで下がった後、2025年には57%に回復している[2]。どちらの制度も、制度が公正で応答的であるという証拠を市民に繰り返し示している。一方は参加を通じて、他方は不偏のサービス提供を通じてである。この比較から、高い信頼に至る道はひとつではないが、いずれの道も目に見える公正さと発言権を経由することがうかがえる◈ 強力な証拠 [1] [17]。
ジョージアの改革は、現代の事例として最も頻繁に引用される。2003年のバラ革命後、新政権は2004年7月のわずか1日で交通警察官約1万5000人(全体の約85%)を解雇し、最終的に約3万人の警察官が職を離れた✓ 確認済み事実 [36]。警察は、新しい制服、新しい車両、新しい採用基準を備えた、より小規模で待遇の良いパトロール警察として再建された。警察官1人当たりの市民数は、2006年までに78人から214人へと変わった[36]。世界銀行は2012年の研究で一連の改革を検証し、税務行政、税関、電力供給、公的登記、大学入試でも並行して変革が進んだことを記録している[34]。成果は数字に表れた。ジョージアの腐敗認識指数の順位は、2005年の158カ国中130位から2011年には64位へ、世界銀行「ドゥーイング・ビジネス」の順位は112位から16位へと改善した[35]。2009年には国際共和研究所(IRI)の世論調査で、警察が国内で3番目に支持の高い機関に挙げられている[36]。
警察への信頼に関する調査データは、この変貌を裏付けると同時に、その限界も示している。コーカサス調査資源センター(CRRC)が実施するコーカサス・バロメーターでは、警察への信頼は2011年に67%、2012年に50%、2013年に58%であった✓ 確認済み事実 [37]。2013年の信頼は首都より農村部で高く、67%対49%であった。市民は自らの接触経験に基づいて制度を評価するという見方と合致する傾向である[37]。2011年以降の低下は、制度改革によって築かれた信頼が、その後も行動が続くかどうかに左右されること、そして接触のたびに改めて勝ち取られるものであることを思い起こさせる[37]。世界銀行はこの教訓を、宿命論への異議として位置づけた。汚職はしばしば根深く、土地の文化の産物で、避けられないものとみなされるが、ジョージアの経験はそうではないことを示したと報告書は論じている[35]。決定的だったのは広報活動ではない。路上での賄賂が目に見えて消えたことであり、それはほぼすべての市民が自ら確かめられる経験であった。
香港とシンガポールは、同じ原理がより長い期間にわたって働くことを示している。1973年6月、総警司ピーター・ゴッドバーは捜査を受けている最中に、約430万香港ドルの資産を抱えて香港から逃亡し、世論の激しい怒りを招いた✓ 確認済み事実 [38]。マレー・マクレホース総督はこれを受けて、1974年2月に廉政公署(ICAC)を創設した。総督は、あらゆる部局から完全に独立し切り離された組織であれば、市民はより信頼を寄せるだろうと説明している[38]。ゴッドバーは1975年に身柄を引き渡されて裁判にかけられ、廉政公署は発足後の数年間で多数の現職警察官を逮捕した[38]。シンガポールの汚職行為調査局(CPIB)も、独立した取り締まりという同様の型に倣った。トランスペアレンシー・インターナショナルの2024年版指数で、シンガポールは84点を獲得し、180カ国中3位、アジア太平洋地域で1位となっている[39]。両都市国家において改革の信頼性を支えたのは、早い段階で権力を持つ内部者を訴追し、ルールが今や全員に適用されることを示した点であった。
ジョージアの経験は、蔓延する汚職の悪循環を断ち切れることを示している。
――世界銀行『公共サービスにおける汚職との闘い:ジョージア改革の記録』、2012年1月ボゴタは、取り締まりではなく市民の規範に焦点を当てた別の型を示している。1995年に市長に選ばれたアンタナス・モックスは、市民文化プログラムを開始した。通常の警察活動と並行して、交差点で交通違反者をからかうパントマイム芸人の起用など、象徴的な介入を用いたのである[51]。その後の数年間で、殺人発生率は2003年までに住民10万人当たり88件から22件へ低下し、年間の交通事故死者数は約1300人から約600人に減った。水不足の際には水の消費量が約40%減少した◈ 強力な証拠 [51]。また約6万3000人の住民が、自発的に10%の追加税を納めた[51]。これらの変化をプログラムだけに帰することは難しい。警察活動や経済状況も同時に変化したからである。それでもボゴタの事例は、信頼研究が予測する仕組みを例証している。他者が共通のルールを守っているのを目にすると、市民自身が相互性に寄せる期待も高まり、社会的な罠がほどけ始めるのである[19]。
再建に成功した事例に共通する特徴は、学術的な証拠と整合している。第一に、変化は市民が国家と接する場、すなわち交通取り締まりの現場、税務署、登記所で目に見える形で現れた[34] [37]。第二に、改革は早い段階で権力者を標的とし、不偏性が本物であることを示した[38]。第三に、制度は、さもなければ仕えかねない政治的主体から構造的に独立させられた[38] [39]。第四に、成功は発表ではなく経験によって測られた◈ 強力な証拠 [1] [5]。スウェーデンの移行がビッグバンであったか漸進的な進化であったかという歴史論争は、政策にとっては、こうした共通の教訓ほど重要ではない。市民が制度の不偏な振る舞いを直接、繰り返し確かめられるようになったとき、信頼はついてきたのである[19] [40]。こうした改革に伴うリスクもまた事例を通じて一貫しており、改革が持続的な信頼を生むか一時的な改善に終わるかを左右する。
| 信頼再建を阻むリスク | 深刻度 | 評価 |
|---|---|---|
| 現職勢力による改革の私物化 | 与党に従属する汚職取締機関は政敵を攻撃する道具となりかねず、信頼を生んだ不偏性を破壊する[18] [38]。 | |
| 行動の代わりに広報で済ませること | OECDによれば、声が届いていると感じられることは広報より重要である。目に見える行動の変化を伴わない宣伝活動は、発言権をめぐる差を放置する[1] [4]。 | |
| 負担配分の不平等 | 危機期の証拠は、苦境が不公平と受け止められたとき信頼が崩れることを示す。最も弱い層に負担を強いる改革は信頼を損なう[30] [45]。 | |
| 閉じた情報環境 | エデルマンによれば、70%が価値観の異なる人を信頼することをためらう。改革の証拠が集団を越えて広がる範囲は限られる[8]。 | |
| 指導者交代後の後退 | ジョージアでは警察への信頼が2011年の67%から2012年に50%へ下落した。成果を保つには行動の継続が欠かせない[37]。 |
再建の事例には共通する非対称性がある。2010年以降のギリシャのように、制度が目に見えて機能不全に陥れば信頼は数カ月で崩れる。だがジョージアや香港のように、回復には何年にもわたる証拠の積み重ねが必要となる[45] [36] [38]。1回の選挙サイクルのうちに信頼という配当を期待する改革者は、おそらく失望することになる。接点での行動を変え、それを持続させる者は、計測される信頼がやがてついてくると期待してよい。
再建をめぐる証拠は、何が機能しないかも明らかにしている。政府が自らの信頼性を宣言したり、信頼を高めるための宣伝活動を展開したりした結果として、信頼が持続的に高まった事例は、研究文献に一つもない。OECDの2024年の調査結果は、信頼を最も強く発言権、誠実さ、公正な扱いと結びつけている。そこから導かれるのは、信頼構築とは直接追求できる目標ではなく、制度の行動に伴う副産物だということである◈ 強力な証拠 [5]。目指すべきは信頼の量それ自体ではなく、信頼に値するものへの信頼だというオニールの議論は、成功したすべての事例の背後にある実践原則である[33]。したがって低信頼社会にとっての問いは、市民にいかに信頼させるかではない。市民が制度と出会う場面で、制度をいかに目に見えて信頼に値するものにするかである。ジョージア、香港、シンガポールにおける答えは、内部者への取り締まりと構造的な独立性であった。北欧諸国では、何世代にもわたる普遍的で不偏なサービス提供であった。
文化による説明は強力な証拠に支えられている。アルガンとカユックは、米国人が祖先の出身国から信頼を受け継いでおり、この継承された信頼が出身国における経済的帰結を予測することを見いだした[21]。アスレイナーは、北欧諸国や英国といった高信頼国から祖父母が移住してきた米国人ほど他者を信頼しやすく、現在の環境よりも民族的な出自のほうが重要であるようにみえることを示した◈ 強力な証拠 [27]。ナンとワンチェコンは、アフリカにおける不信を過去数世紀の奴隷貿易にまでさかのぼって跡づけ、効果の大半が内面化された規範や信念を通じて作用することを見いだした[22]。グイゾ、サピエンツァ、ジンガレスは、イタリアの市民資本を中世の自治と結びつけた[24]。これらの知見が主要な経路を捉えているとすれば、信頼は政策が何世代もかけてしか影響を与えられない、ゆっくりとした変数ということになる。低信頼社会は自らの歴史に閉じ込められ、高信頼社会は、そこそこ良い統治さえあれば保たれる永続的な遺産を享受することになる。
制度による説明もまた、種類の異なる同等に強力な証拠に支えられている。セナスコウとディネセンは、同一人物を18年にわたって追跡し、制度への信頼における変化が、社会的信頼の変化に先行することを示した[25]。ディネセンは、移民の信頼が出身地の文化だけでなく移住先の制度にも反応することを見いだした[26]。クムリンとロススタインは、福祉制度の設計を利用者の信頼と結びつけた[20]。ジョージア、香港、シンガポールといった再建の事例は、特定の制度に対する計測上の信頼が10年以内に変化することを示している◈ 強力な証拠 [35] [38] [39]。二つの説明は、厳密には両立しないわけではない。文化の伝達は信頼の水準がなぜ持続するかを説明し、制度の効果はそれがいかに変わりうるかを説明する。政策上意味を持つ知見は、政府が直接改革できるのは仕組み全体のうち制度だけであり、いったん確立された制度の効果は世代を超えて複利的に積み上がる、という点にある。
第二の論争は、信頼の低下がそもそも問題なのかという点にかかわる。ピッパ・ノリスは2022年の著書『イン・プレイズ・オブ・スケプティシズム(懐疑礼賛)』で、100を超える社会の調査データを用い、市民の信頼を、各国政府が実際に備える能力、誠実さ、不偏性と比較した。そのうえで、過剰で無批判な信頼がもたらすリスクは一般に過小評価されていると論じた⚖ 議論あり [32]。この見方に立てば、問うべきは信頼の水準ではなく、信頼と信頼に値することとの整合性である。腐敗した政府への低い信頼は、市民が健全に機能している証しである。信頼に値しない政府への高い信頼こそ危険なのである。オニールは、いわゆる信頼の危機とは、日常生活における積極的な信頼の拒否というより、人々が世論調査員に何を語るかの問題なのかもしれないと論じている[33]。調査員に医師や公務員を信頼しないと答える市民も、そのサービスを利用し続けている。落とし物の財布やパンデミック下での順守行動に関する行動面の証拠は、調査上の信頼が実際の行動と相関することを示唆するが、その相関は完全ではない[52] [15]。
第三の論争は、政治体制の異なる国々にまたがる計測をめぐるものである。エデルマン・トラストバロメーターは一貫して中国、アラブ首長国連邦、インド、インドネシアを最も信頼度の高い社会と位置づけており、2026年の信頼指数は73〜80であった。一方、日本、フランス、ドイツ、英国は38〜44にとどまる[8]。ラジオ・フリー・アジアのファクトチェックをはじめとする批判者は、権威主義国の回答者は用心から信頼を誇張して答えると論じ、上位に位置づけられた政府の一部がエデルマン社と商業的な関係を持っていたことも指摘している⚖ 議論あり [54]。民主主義国、すなわち加盟国と加盟候補国に限定したOECD調査は、異なる手法を用いて異なる姿を描いており、2025年の日本は最下位ではなく46%に位置している[3]。第四の論争は多様性にかかわる。87件の研究を対象とするメタ分析は、民族的多様性と社会的信頼の間に小さな負の関連を見いだしているが、ロススタインとアスレイナーは不平等と汚職のほうが重要だと主張する[28] [17]。
現時点の証拠の重みは、両者の統合を支持している。文化の伝達は確かに存在し、持続性を説明する。期待は親から子へと受け渡され、日々の経験によって強化されるため、信頼の水準は容易に動かない[21] [22]。制度の効果もまた確かに存在し、変化を説明する。制度が十分に長く異なる振る舞いを続ければ、期待は更新される。まず制度に直接接する人々の間で、次いで社会全体で更新されるのである[25] [26] ◈ 強力な証拠。歴史的事例もこの構図に当てはまる。イタリアの市民資本が持続したのは、南部における制度的条件が何世紀にもわたり不利なままであったからである[24]。ジョージアで警察への信頼が高まったのは、組織自体が入れ替えられたからである[36]。この統合的な見方において、文化とは蓄積された制度的経験にほかならない。文化がゆっくりとしか変わらないのは、変化を受けつけないからではなく、経験がゆっくりとしか蓄積されないからである。
この統合的な見方は、信頼をどう計測し、どう論じるべきかについて実践的な含意を持つ。政府への信頼を示す主要な数字は、スキャンダルや選挙、景気循環に反応するため、社会関係資本における根底の状態を測る指針としては不十分である。裁判所、警察、公務員、同胞市民への信頼を測る指標は動きが遅く、制度的な基盤をよりよく捉える[7] [12]。2021年以降のノルウェーのように、ある国は特定の政府への信頼を失いながら制度への信頼を保つことがある。また、ギリシャやレバノンのように両方を失うこともある[2] [45] [49]。両者を見分けることは診断に不可欠である。前者は選挙によって解決しうる政治的問題である。後者は制度改革を要する構造的問題であり、証拠に照らせば、計測される信頼が回復するまでに何年もの一貫した行動が必要となる◈ 強力な証拠 [37] [45]。
社会関係資本をめぐる帳簿は、今やある程度の確信をもって読み解くことができる。資産の側では、高信頼国が制度的経験の蓄積を保有している。何世代にもわたる不偏の行政、普遍的なサービス、低い汚職が、公正な扱いを期待し、それに沿って行動する市民を生み出してきた[13] [17] [25]。負債の側では、低信頼国が、時に数百年前にさかのぼる収奪的な制度から受け継いだ合理的な疑念を抱えている[22] [24]。OECD調査は、これらのストックへの流入と流出を主に左右するのが、成長や行政サービスの提供だけではなく、発言権、公正さ、誠実さといった手続き面の経験であることを示している◈ 強力な証拠 [1] [5]。声が届いていると感じる人と感じない人における47ポイントの信頼度の差は、データの中で最も大きな単一の知見である[1]。それは先進民主主義国が抱える最も重要な欠損を浮き彫りにする。欠けているのは能力ではなく、参加が結果を変えるという実感なのである。
経済的な利害は大きい。アルガンとカユックによる継承された信頼の推計は、方法論上の不確実性を割り引いたとしても、欧州主要経済国の間で信頼のみに起因する6〜17%の所得差があることを示唆している[21] [57]。パンデミックに関する証拠は、正式な準備計画よりも信頼のほうが感染率に強く影響したことを示唆する[15] [16]。ポピュリズムに関する証拠は、危機に起因する不信が反エスタブリッシュメント票に転化し、政策の安定性や制度の質に影響を及ぼすことを示している◈ 強力な証拠 [30]。したがって信頼は、広報部門が管理すべき柔らかい変数ではない。経済実績、公衆衛生上の対応力、政治的安定を左右する決定要因である。しかも、築くには時間がかかり、失うのは速いため、短期的な政治的誘因のもとでは体系的に過少投資される変数でもある。
政策上の含意は、信頼の決定要因から直接導かれる。第一に、制度は市民との接点における裁量を最小限にするよう設計されるべきである。可能であれば資力調査型ではなく普遍的な制度を採用し、裁量が避けられない場合には透明なルールを設けることである[20] [18]。第二に、汚職の取り締まりは構造的に独立していなければならず、香港やシンガポールのように早い段階で権力者に及ばなければならない[38] [39]。第三に、参加は実際の帰結を伴わなければならない。OECDのデータは、形式上の投票権だけでは発言権をめぐる差は埋まらず、市民には自らの意見が決定を変えるという証拠が必要であることを示している✓ 確認済み事実 [1] [4]。第四に、危機における負担は、市民が公正だと認める形で配分されなければならない。政治的信頼を崩壊させるのは苦境自体ではなく、不公平さだからである[30] [45]。第五に、成功は政府の支持率ではなく、特定制度に対する信頼と、行動面の指標によって測られるべきである[7] [52]。
本報告における確かな知見はすべて、同じ方向を指している。信頼は、制度が不偏で応答的で腐敗していないところで高まり、そうでないところで低下する。期待が受け継がれるがゆえに信頼は持続し、行動がそれを改めさせるほど長く変わり続けたとき、信頼も変わる[25] [26] [36]。政策が目標とすべきは信頼自体ではなく、市民が国家と出会う場における信頼に値する振る舞いである。
なお不確実な点がいくつか残る。文化と制度の相対的な比重は決着しておらず、継承に関する推計は方法論上の選択に左右されやすい[57] [27]。商業調査における権威主義国の偏りをめぐる論争が示すように、各国比較調査は政治体制の違いを越えて信頼を同等に捉えられていない可能性がある[54]。2021年から2025年にかけて日本と韓国で信頼が急上昇した理由はまだ明らかになっておらず、制度の変化ではなく政治サイクルを反映している可能性もある⚖ 議論あり [3] [43]。民族的多様性による効果は現実に存在するが小さく、制度の質との相互作用は十分に解明されていない[28]。さらに、信頼に値しない制度への低い信頼は健全だというノリスとオニールの議論に従えば、計測上の低下の一部は、劣化ではなく市民の判断力の向上を表している可能性がある[32] [33]。これらの不確実性は、短期的な変動を解釈する際に慎重であるべきことを教えている。しかし、中心的な知見を揺るがすものではない。
国家間の比較は、時間について最後の教訓を示している。北欧の信頼の蓄積は1世紀以上に及ぶ制度改革を通じて築かれたものであり、より信頼の低い社会なら不安定化しかねない政治的衝撃をも吸収する[41] [2]。ジョージアは10年以内に警察への計測可能な信頼を築いたが、政治状況が変わると、その一部が損なわれた[37]。ギリシャは4年のうちに政治的信頼の大半を失い、それから10年以上を経ても部分的にしか回復していない[45]。信頼は、ゆっくりと蓄積され、速やかに費やされる。政府にとってこれは、自らが引き継ぐ信頼は、大半が前任者たちによる行動の産物であり、自らが後に残す信頼は自らの行動の産物になることを意味する。市民にとっては、不信がしばしば証拠に対する妥当な読みであること、そして求めるべきは安心の言葉ではなく、信頼に値する制度であることを意味する。
社会関係資本の帳簿は、こうして表題の問いに答えを出す。自国の制度を信頼する国があるのは、その制度が長い期間にわたって市民を不偏に扱い、市民の声に耳を傾け、収奪を控えてきたからである。そして、その経験が期待として世代を超えて伝えられてきたからである[17] [25] [21]。制度を信頼しない国があるのは、経験が異なってきたからであり、その不信は、行動が変わるまで持続する合理的な適応である。信頼は再建できる。ジョージア、香港、シンガポール、そしてより暫定的ながら日本と韓国は、計測される信頼が目に見える制度の変化に反応することを示している◈ 強力な証拠 [35] [38] [39] [3] [43]。ただし再建は、市民が国家と出会う場で信頼に値する振る舞いが繰り返し示されることによってしか果たされない。OECD全体で政府を信頼する40%と信頼しない43%は、国民性を表明しているのではない。自国の制度から学んできたことを報告しているのである。